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YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第4話 柳川町と軍隊
   
 

 古来より兵営のそばには必ず女の街が出現し、兵隊を相手に情が売られていきました。高崎もその例にもれず、壕一つ隔てた高崎城内の兵営に常駐する千人の兵士と柳川町の花街の関係は切っても切れないものであり、日本の軍事大国への歩みと共に、柳川町の花街も発展していきました。
 明治維新後の明治5(1872)年には、徴兵制が布告され国民皆兵となっていきました。高崎の兵営は明治6(1873)年に第一軍官鎮台に属し、高崎文営として歩兵第3連隊第一大隊の屯営がおかれ、それがのちの高崎15連隊で、『高崎聯隊史(れんたいし)』によると、明治8年2月25日が高崎に軍隊がおかれた最初となっています。
 第一次世界大戦が大正3(1914)年に始まり、日本は戦勝国として戦争成金の立場に置かれ、非常な好景気となり、柳川町中部の芸者街は黄金時代を迎えました。
 昭和4(1929)年の高崎市の乙種飲食店納税表には柳川町東部の娼屋は55軒、働く女性は300余名を数えました。その頃の柳川町中部の芸者街においては、甲種料理店は34軒、芸妓置屋40軒、芸妓120名という記録が残っています。
 当時高崎市は鉄道関係の要衝の地となり、高崎線、信越、上越、両毛線などの北関東唯一の交通の要地として名をなしていたので、軍都高崎の名と共に多くの人が高崎の地を訪ね、花街柳川町の名前も東京吉原に次ぐ地として関東一円に知れ渡っていったそうです。

   
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