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YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第7話 続・当時芸者だったT姐さんのお話
   
 

 戦後の進駐軍の時は、前橋と岩鼻に米軍の将校がいて、お座敷に出ることになりました。はじめは外国人を見ても笑ってはいけないと教わりました。笑うと『OK』だと誤解されるので。鬼畜米英だから恐ろしい人達だと言われていました。しかし、お座敷へ出てみると、とても親切であり、本当に紳士達で、タバコやチョコレートなどの物資を持ってきてくれる優しい人たちでした。
 特に忘れられないアメリカの軍人さんがいました。昭和21(1946)年に入って私は盲腸炎になってしまい、家で寝ていると、アメリカのドクターがわたしを診察してくれて、抱えて綿貫病院へ入院させて、井上太郎先生が手術してもらったことがありました。その時にペニシリンを持ってきてくれて、処置してくれたお蔭で命拾いしました。私が高崎でのペニシリン注射の第一号だったそうです」
昭和20年8月14日の夜から高崎市への空襲の時も幸い柳川町には被害がなく焼失を免れ、翌15日終戦。しかし空襲から解放され逃げ惑うこともなくなりましたが、苦しい耐乏の生活が始まっていきました。

 

   
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