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YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第10話/売春防止法の制定
   
 

 戦後、特殊飲食店の名目で赤線地区に売春を認めていました。こうした流れの中で、反対運動が起こり、昭和33年4月、売春防止法が施行されました。これにより、柳川町の東部・中部は一大変革をせざるを得なくなったのです。
 すでに、中部柳川町の芸者置屋においては、風俗営業法により18歳未満の風俗営業への就業を禁止されていたので、芸者養成のための半玉制が禁止となり、芸者へのなり手が極めて狭まっていました。その上、芸事の習得がなくても、金の稼げるバーやキャバレーへの女給に転身が増加したことや料亭がホテル業や食堂、旅館業に転業したことで、芸者の働く場所も減少していきました。
 そして売春防止法により、いままで女給という名で売春が公然と行われていた赤線・青線についても全く認められなくなったのです。東京の吉原をはじめ、多くの都、府県の特飲店の業者は店舗改装を行い、トルコ風呂(現在はソープランド)の営業に転業していきました。群馬県条例ではソープランド営業を許可していなかったので、特殊飲食店の女給たちはキャバレー、バー、小料理店の従事者に鞍替えしていきました。
 柳川町東部のほとんどが、バー、スナック、小料理店、喫茶店となり、しかも貸店舗式の店がほとんどであり、夕方の五時過ぎになるとオープンするものばかりであったため、夜の人口が急増して賑わってくるようになりました。

   
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